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【予告編】プログラムされるために支払っている・・・学生ローンの陰謀

デーヴィッド・アイク週刊ニューズレター予告編
2012年2月3日金曜日

プログラムされるために支払っている・・・

・・・学生ローンの陰謀

私はこれが誰にでも通じるやり方だとは言っていない。私たちは全員が異なるし、もしくは異なるべきである。私が言っていることは、「良い教育」(プログラミング)は必須であったり、万事の中で最も大切なものではないということだ。制度によらず、独自の条件での独学(偽りなく学ぶこと)は可能である。私は実際に独学を開始する前の三十代までは問題なくやっていたし、これが加熱状態になる前には四十代に入っていた。開始するに遅すぎるということはないし、インターネットによって、情報は、至るところに膨大な題材のつづれ織りとして、誰にとってもそこにあるのである。

その上、独学には、制度が不可欠として強要するものよりむしろ各自が学びたいものに集中するための権限がある。つまり、彼らが教育をソーセージ加工機にした時から、どれだけの人々がこれまでに代数を使ったのか。X + Y = くだらんπ(円周率定数)、私にはいつもそう思えた。

若者は決して使うことのない無用の戯言で頭がいっぱいだし、後で常に必要に応じて学ぶことが出来るし、さすれば、偽情報や陽動作戦や真っ赤な嘘だと判明する怪しげな「事実や情報」の氾濫もない。権威や政治家や親たちが、学校の予算や教師の割合や学級の規模やこの種のことを審議しているのを私は見るが、子供や学生が実際に何を教えられるかであることは、稀にあるとしても、ほとんどない。制度が決定し命令するに任せているだけである。

私がこうしたことを指摘するのは、単科大学と総合大学が、今日、非常に多くの若者と親たちにとって「不可欠なこと」になったやり方のせいである。さてここでは、私たちはすべての可能性の表出であるが、それなのに、リトル・スクール、ビッグ・スクール[訳注:感化院、刑務所の意がある]、試験に合格して総合大学に行くというひどく退屈でつまらない過程は、非常に多くの人にとってたった一つの可能性でしかない。

【アイク翻訳委員会:司壽】

当記事の本編は後日公開予定です。

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