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勇気を持って…可能性を実現する

このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。

デービッド・アイク ニューズレター、2009419日号

勇気を持って…

…可能性を実現する

みなさん、こんにちは

先日の木曜、私は何軒かの店によったあと車で運転して戻るところだった。オーストラリアからの帰りに20時間も飛行機に乗って時差ボケになり、まだ徐々に回復している最中だった。ニュースを聞こうとラジオをつけると、ある男性が「スーザン・ボイル」という人の驚くべき反響について話しているのが聞こえた。

私の頭はまだ、ロンドン上空のどこかで着陸待ちの状態にあったが、彼女がテレビのオーディション番組で歌い、センセーションを起こしたということは理解できた。その話で私の興味をひいたのは、彼女が何をしたかより、彼女が誰であるかだった。

想定され人為的につくられた「マーケット」に合うという理由で、世界中のオーディション番組にしばしば登場する見かけも声も完璧につくられた20歳の似たりよったりの存在ではないことは明らかだった。

私は興味をそそられ、動画投稿サイト、ユーチューブ(YouTube)で彼女が歌っているところが見つからないかチェックしてみようと決心した。見つかるかって?見逃しようがない。

家に帰り電子メールを開くと、ある人が送ってくれたメールの中に「偶然の一致」のように、彼女がオーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」に出演して今や有名になっているビデオクリップへのリンクがあった。これは高慢さにかけては、天性があり、並ぶものがいないサイモン・コーウェルが率いるもう1つの番組だ。[訳注:もう1つは”アメリカン・アイドル”。 ”ブリテンズ・ゴット・タレント”は”アメリカン・アイドル”と異なり歌以外のジャンルのタレントも出演する]

そのビデオクリップを再生すると、一分ほどで涙が止まらなくなった。最近になってもまだ涙なしで最後まで見ることができない。これは仕方がないことで、どうにかしたいとも思わない。泣くことは大変カタルシス(清浄)作用があると気がついた。

このビデオクリップにある、いわゆる「普通のおばさん」が笑いや忍び笑い、蔑みの真っただ中で舞台に歩み出て、それらに向かって歌うのを見るたびに、長年押し込められ蓄積されていたあまりに多くの個人的な感情が解き放たれる。

まだそのクリップを見ていないなら、先に進む前に見て欲しい。すでに見たことがあってもまた見る価値がある。: ここをクリックClick here …

全く信じられないだろう?

二重あごで白髪混じりで大きな胸の「普通の」おばさんが、見る人にこれほどインパクトを与えるのはなぜなのだろうか?それはこれが、ほとんどが抑圧と拒絶の領域である、いろいろな境遇にある我々すべてについて極めて強力な声明となっているためだ。

皮肉より良識を選んだ広い心の持ち主、番組の審査員アマンダ・ホールデンが、これは目覚めの呼びかけだと言ったのは正しい。そう、人間の魂の深い深いレベルでは、そうなのだ。

スーザンが聴衆の前に姿を現し笑いが始まった瞬間、私は彼女と繋がった。私はどこに行ってもほとんど国中で笑われるという最も過酷な状況で、同じような立場を何年も経験したことがあり、まだ笑っている人もいるが、それは彼らにはほとんど自尊心がないため、私が実際に何を語っているのか、あるいはその正当性をわざわざチェックすることなく、命じられたように笑うからだ。

メディアがつくり上げた私の「イメージ」は彼らの知覚をプログラムするのに十分なもので、それ故、彼らの笑いは、私についてではなく、まさに彼ら自身についての意見なのだ。これは重要な点だ。我々が人々を知覚したり、人々に反応する時、人々について何か言っていると我々は考える。

しかしそうではない。我々の他人に対する知覚、反応、そして行動は常に、まさに自分についてのものだ。他の誰でもない。

スーザン・ボイルがスコットランドのグラスゴー劇場で舞台に立った時も同じだ。聴衆と審査員は彼女が登場すると一人を除いて「入力」キーを押した。「ちょっと太っているし、体型も悪い、地元のパーマ屋でやってもらったような髪だし、老けすぎている」とプログラムが実行される。

「ハハハハハ・・・おかしすぎる」

私は身体/マインド(意識の反対)は生物学的なコンピュータ・システムだと何年もいい続けてきた。彼女が最初に登場して「プロの歌手」になりたいと抱負を述べた時の聴衆の反応を見ること以上に、このことを証明するものが必要だろうか?

古代の律法学者が”あるべきこと”について書いた文書に「それは書かれている」とある。その通りだが、必ずしもそうである必要はない。書かれているのはプログラムに他ならないが、その奴隷になる必要はない。DVDに書き込まれたデータを読むレーザーになる必要はない。

何かを「成し遂げない」ままある年齢になると、「遅すぎる」というプログラムが書かれる。夢が公式に砕け散った瞬間に秒針がカチッと合うのかどうかわからないが?

それは40歳?45歳?多分50歳?誰がそれを決めるのか?”プログラム”だ。私はこれに従わない。スーザン・ボイルもそうだ。

今月の終わりで57になりますが、まだ始めてもいないんです、もう遅いって? クソくらえだわ、ダーリン。

「過去」は知覚にすぎず、存在しないものであり、すなわち時間の上に成立している幻だ。自分で信じない限り、存在しないものに「遅れる」ことは決してできない。

(ホーマー・シンプソン:ロックするのに年を食いすぎているなんてことはない)

スーザン・ボイルと同じ年齢のほとんどの人は、すでにプロの歌手になる夢を諦めてしまったことだろう。なぜか?プログラムがそうすべきだと言い「無限の可能性」をプログラムに明け渡したからだ。

しかし今、彼女はこれを受け入れず、スポットライトに照らされて最初に嘲りを受けることに備えていたため、プロの歌手になるだろう。彼女はプログラムを打ち負かした。なぜならそれを無視したからだ。

もし一人にこれができるなら、すべての人に可能だ。それは選択の問題だ。

人々に、自分のマインドがあるかときいてみれば、あると言うだろう。そう答えるのは当然だ。マインドは持っていると信じなければならないもので、さもなければマインドがないということになり、これは誰も認めたくないことだ。

そんなことは恐ろしくて考えられない。自分は、意識が収まっているはずのノートパソコンがついているただの自動制御ロボットに過ぎないということになってしまう。

でも、もう一度このビデオの聴衆を見てみよう。人間「社会」につくられる広大な地域のように典型的だ。スーザンが登場するやいなや、彼らのプログラムはチェックマークを入れていた。

太りすぎ: チェック

二重あご:  チェック

ひどい髪型: チェック

時代遅れのドレス: チェック

ウチの母親みたい: チェック

結論:全然見込みなし。反応:笑いと当惑、さらには軽蔑。

笑いは、プログラムに合致しない人物に直面したほとんどの人にみられる機能停止状態だ。笑いは文字通り計算不能の状況を扱う彼らの方法だ。

もうひとつの方法は標的に腹を立て、自分たちを支配する同じプログラムが読めないことを非難している。これは宗教的狂信者が信徒でない人々に直面した時、あるいは戦争挑発者が平和を語る人々に関わる時起きることだ。

私はこれらの状況すべてを経験済みであり、過去20年以上に亘り、宗教的なものであれ、「目には目を」の報復であれ、公式の歴史であれ、あらゆる挑発的な集会を経験した。守るべき信念体系がある人々の反応は世界中どこでも驚くほど似通っている。

しかしこれは実は驚くべきことではない、あなたのコンピューター上で同じプログラムを動かすから同じ「結果(反応)」が毎回、画面に現れる。これは無意識的「人間」として知られるコンピューターに起きることだとスーザン・ボイルでの経験が非常に露骨にこの事実を要約している。

イルミナティ「人間」

我々はあるテレビ番組に登場した女性について話しているようだが、実際には現在人間の「人生」の大部分を支配しているプログラムの核心部分にいる。そしてここでの反応とそれに続くタレントショーの出場者の逆の反応は、本当の自由と無限の自由への鍵である。

言い過ぎだって?全然。

我々が自分自身と世界を見る方法を支配するのは何だろうか?我々の視点だ。もっとも単純な形は、グラスが半分空と見るか、まだ半分入っていると見るか?ということだ。

あなたは、「あらゆる可能性」の独自の表現力として舞台の上を歩いてると見るだろうか?それともその風采ゆえに、歌手になりたいという夢をひけらかすと笑われる、野暮ったい時代遅れの女性教師のような人物を見るだろうか?

これらの反応や知覚の違いは何だろうか?「観点」だ。

従って、もし人々の世界の見方や知覚の見地を支配できれば、人や出来事に対する彼らの反応、つまり行動を支配できる。我々が暮らすそのような世界を決めるのが行動だとしたら、知覚の支配者は、自分たちのグロテスクなアジェンダに最も合致するように人間社会を形成する。

彼らがしていること、つまり人類を奴隷化する陰謀のすべて、そのまさに基礎となるのが、我々が世界を解釈する方法をプログラムすることだ。このために彼らは「規準」をつくり、人々がそれを受け入れるよう、そして取り締まるように操るのだ。

人気歌手であることの現在の規準は、基本的に細く、若く、少なくとも若く見え、いわゆる「それらしく見える」ことだ。声はあまり重要ではなく、音楽すらそうだ。人々が「魅力を感じるか」が問題だ。

「それらしく見える」が何を意味するのか決めるのは誰か?規準を支配し人々を操って、それが唯一の可能な現実だと思わせている人達だ。

60年代やパンク、グラムロックその他すべての異なる時代特有の音楽が「一般大衆から」生まれたかのように「自然に」出現したという話を聞くと、私は冷ややかに笑うしかない。そうではなくて、それらはすべて支配権力が変化という幻想を与えるために考案したもので、支配者は同じままなのだ。

ファッションは典型的だ。「これってとても80年代っぽいね。」本当に?誰が決めたのか?1980年代の「流行」をどんなものか決め、その後、他のものを次の「流行」に決めてそれと入れ替えて「流行遅れ」にする人々だ。

止まっている時計でも一日2回は正しい時間を表示するように、私の服は大体30年ごとに「流行の服」になる。「流行」かどうか、周りに振りまくかどうかなんて、どうでもいい。それが何だというのだろう?何でもない。しかし我々の行動と買い物の習慣はそれが重要であると信じているかのように操られるのだ。

何を好むべきか言われなくとも、自分の好きなものを着ることができないものだろうか?考えるよう言われたことを考えるのではなく、自分で考えることを考えられないものだろうか?

正直それは可能だ。私はそう努めている。

スーザン・ボイルのパフォーマンスの別の驚くべき光景のひとつは、彼女の声の圧倒的な力と美しさによって先入観が挫かれた時、なんと素早く聴衆が反応、つまり観点を変えたかだ。

先入観(プログラミング)のパッケージを完了するために聴衆が待っていたのは、彼女が口を開いて、カラオケの耳障りな声で猫が泣くように歌うことだった。彼らは、自分の耳が苦痛に耐えることになるものを予想してほとんどしかめ面をしているようだ。

最初に反応が逆転したその一部は、彼らが実際に耳にしたものに衝撃を受けたことだった。しかしずっと深遠なものがそれに続いた。アマンダ・ホールデンがそれをうまく表現した。それは目覚めの呼びかけだったのだ。あの日グラスゴーで起きたように、先入観がこれほど即座に、そして深く打ち砕かれるのは珍しいことだ。

このパフォーマンスのビデオクリップは私が最後に見たとき、ユーチューブだけで25万件を超える閲覧があった。そして数日前は家族と友人以外には無名だった女性は、続いてアメリカの人気テレビ番組「オプラ・ウィンフリー・ショー」に登場した。彼女は一週間で世界的な事件になったのだ。

彼女がしたことは信じがたい衝撃をもたらした。なぜならそこには人々が聞く必要がある何か、実際には聞きたいと思う何か重要なものがあるからだ。

それは価値のない取るに足りない存在などというものはないと言っている。自分が誰であれ、誰もがその中に含まれる。そして基本的に利己的な意図を持って我々が世界を見る方法を支配する支配権力によって賛美するようプログラムされた規準やフィルターで自分や他人を判断しないようにと言っている。

(僕は『取りに足りない人間(nobody)』だ… 完全無欠な人間はいない …だから僕は『完璧』だ!)
―英語のジョーク―

それはオバマの空虚な「イエス・ウィ・キャン」を超えて、ずっと深遠な「イエス・アイ・キャン」になっている。もしあなたの基本が「我々(ウィ)」なら、その「我々」は、即ちあのグラスゴー劇場で聴衆のプログラムされた集合的アイデンティテーと認識の「それ」になる。

個性と多様性からなる本当に自由な世界を望むなら(是非そうして欲しい)、それは「私」から生まれる。社会と呼ばれる「我々」を作りあげるのはたくさんの「私」だからだ。その「私」がクローンのようなものなら「我々」もそうなるしかない。

今日世界は圧倒的にそうなっている。しかしそうである必要はない。

因習という規準によって内に閉じ込められている津波のような人間の潜在能力を解き放つためには2つのことをする必要がある。自分を自由にすること。そしてすべての他人を自由にすることだ。

1つ目は自分という独自の存在を法律や形成された迎合性のレッテルに委ねることを拒むことで実現する。そうあるべきと命令されたものになるのを拒否し、無二の自分、そして常に本当の自分であることだ。

これが私であり、それがお気に召さないならお気の毒に。なぜなら私は私だから。従って私は自分の夢を追求し、自分の魂を他人の支配に服従させる仔細に計画された悪夢を追いかけない。47歳になってもプロの歌手になる夢を持ち続けたくないないなら、そうすればいい。しかし私はそれをやるし、やるだろう。

このことで2つ目のポイント、他人を自由にすることに到達する。私は20年前に、人がどうやって羊から羊でなくさせたかを話した。羊を並ばすには少なくとも牧羊犬が必要なのだ。我々はこれをお互いに対して行っている。

「みんな聞いて。絶対誰も動かないで。さもないと他のみんながそれに従うから」

人々は規範に従うだけでなく、他人が同じようにするよう強いる。まさにこの組み合わせが少数の人々が多数を支配することを可能にする。それは1つ目のポイント以上に、この2つ目のポイントがなければ不可能だろう。

しかし私は自分の経験から、そしてスーザン・ボイルが証明したように、服従の圧力に屈する必要はないと知っている。「私」が自分と一致し「我々」でない時、「私」は「我々」より遥かに強力だ。

これを「つむじ曲がり」と言う人もいるが、他に言い方がある。本当の自分であること。自分のハートに従うこと。自分自身に忠実であることだ。

我々がこうすれば、どんなに違った世界を経験することになるだろうか?

最後にこのことも言っておこう。本当の自分自身であるという意味で、このホログラムの幻を「通り抜ける」自分の旅に忠実であるという意味で「成功」するためには、舞台に立つことや有名になる必要はない。さらには外部の承認など必要ない。

真の自己であることは他人による有効性の証明を必要としない。ただ自分自身が真実であることが必要なだけだ。

名声は足早に過ぎ去るものであり重要ではない。それはただのひとつの経験にすぎず、何でもない。いくつかの行路は、彼らが行うことの天性によって一般認識に広く関心を呼ぶが、しかし「あちら側」にいる人々は、「あちら側」にいることを支える人々に依存している。

多くの人々は、歴史にも新聞の見出しにもたとえあったとしても頻繁に記述などされないかもしれない。しかし、公的プロフィールによって行動することが認められている人々と同じくらい強力に、集合的に物事を変えられるのだ。

夢や偉業の実現に高い知名度は必要ではない。名声が「成功」の唯一の道という現代の信念は、我々を檻に入れておくための別のプログラムにすぎない。

もし自分自身を知り、自分自身に忠実であれば、あなたが誰であっても、何をしていていても、どこにいても「成功」しているのだ。

スーザン・ボイルを有名にした曲「アイ・ドリームド・ア・ドリーム(夢やぶれて)」は夢を捨てた人生について語っている。しかし実際には「人生」は我々が行う決断と選択にすぎない。従って、夢を捨てるのは自分に他ならないし、夢を実現するのも自分だ。もしあなたが夢を捨てたなら、その責任を負い、行いを変え、人生に夢を呼び戻そう。

これが「選択」と呼ばれるもので、選択する力は、我々のものである。-今まさに。

【翻訳チーム◆D】

このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。

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コメント:1

久保隆之 09-04-28 (火) 11:31

スーザンボイルさんの歌を早速見ました。彼女の外見(典型的な中年女性)と、その印象からかけ離れた美声のギャップに、人々は(私も含めて)彼女の本当の姿(美しさ)を瞬時に察知したことがよく分かりました。
こういった場面は通常の生活で遭遇する機会は少なく、我々はアイクさんの言う、作られた(コントロールされた)概念を当たり前と思う毎日を強いられています。

私もこれまで、他人との比較で優劣をつける既成概念の中で生きていました。しかし、ある時から(アイクさんの本等を拝読するようになって以来)それを止め、自分自身の価値を探るスピリチュアルな生き方を始めました。それ以来、私は心身ともに健全になり、今まで気がつかなかった些細なことにも、大きな価値があることがわかり始めました。

さらに、お金のかかる派手な生活ではなく、普通の生活の中に幸せを感じるようなりました。
つまり、これまで幸せになるために経済的に豊かになろうとした行為が、逆に自分を苦しめていたことにも気づき、現在、お金に対する執着はすっかり消えました。
そうすることで、心にゆとりが出来、私の幸せ度はお金の所持量とは相関することなくアップしました。

私自らの経験している幸せへの変化は、他人との比較といった既成概念からの脱却と、己を知ろうとする努力によってもたらせられたことを、今回のニューズレターによって確信しました。

【編集部より】
アイクに言われるまでもなく、このような感性は日本人にはかつてあったものなのです。
良いものは良い、悪いものは悪いと直感で判断し得たものですが、いつの間にか計算を始めました。
そのようにさせている現代の体制をあぶりだし、明らかにして、本来あるべき方向へ進むことを、そして個人個人が認識しなければいけないことを一連のニューズレターの中で説いています。

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