ブログトップ > 参考記事 | 第二期記事 > 参考記事 『獄吏国家』 オレン・イフタチェル

参考記事 『獄吏国家』 オレン・イフタチェル

Oren Yiftachel-The jailer state

2009年1月12日

The Jailer State

By Oren Yiftachel

oren-yiftachel.jpg

『獄吏国家』

オレン・イフタチェル

イスラエルはガザを巨大な監獄に変えた。これによって生まれている国家テロと囚人の抵抗運動の止むことない繰り返しをイスラエルはさらに続けるという選択をしている。イスラエル人大学教授オレン・イフタチェルはこう記している。

『我々には今は絶好の機会だ。ガザで奴らを粉砕し打ちのめす時だ…家を何千軒も壊し、トンネルや工場を破壊し、可能な限り多くのテロリストを殺すべきだ…』

数日前このように宣言したのはイスラエルの副首相エリ・イシャイである。同日ツィーピー・リブニー外相は「ハマス体制を転覆させる」 と約束した。そしてエフード・オルメルト首相はガザ/エジプト国境「完全封鎖」の必要性をあらゆる会合で主張した。

イスラエルの政治指導者のこのような発言は「地政学的(訳注*1原文は’political geography’『政治地理学』となっているが便宜上『地政学』とした)な集団的監禁」をイスラエル/パレスチナ問題においてますます明白なものとして痛々しい明瞭さで述べている。この政権下で多数のパレスチナ住民が特定の地区に監禁されている。これは住民の意志に反しており、しばしば国際法に抵触している。そして住民たちは看守のなすがままになっている。監禁の状況が耐え切れなくなると反乱が起き、暴力的な集団的懲罰を加え鎮圧される。そしてこれにより次の蜂起の条件が逆に整ってしまう事になる。これがいつもの事なのである。

イスラエルは今ガザの抵抗する囚人たちをこのように扱っているのだ。イスラエル政治指導者の言葉が示す通りイスラエルはそうした人々を狭い地区に監禁し、強大な武力で懲罰を課している。同時にイスラエルはこの地政学的な監禁をさらに常態化し、そして将来の蜂起の可能性も共に常態化してしまうのである。

これは新しい現象ではないし、パレスチナ情勢において特異な事でもない。欧州は植民地化政策で先住民族集団を居留地やバントゥスタン(訳注*2)に押し込めるという集団的監禁を広く行ったのである。それは白人が自由に土地や鉱物や労働を搾取できるようにするためだったのである。(訳注*2:アパルトヘイト時代の南アフリカで黒人を隔離するためにつくった自治区)

今日でもまた人種差別主義の各国政府は、好まざる人種を空間的に隔離し残虐な「懲罰」を与えるという方法で片付けようと画策している。これはチェチェンやコソボ、カシミール、ダルフール(ダーファー)、そしてスリランカのタミールイーラムに対して行われている。

このような政治的施策が広がっている理由は、抵抗する地域を国家の支配権の「内でも外でもない」グレーゾーンに放置しながら、国としての主権を手にしないようにしたいからなのである。監禁された者たちの宗主国への抵抗運動は国家でない存在のものとして、しばしば犯罪とみなされ、こうした反植民地支配の闘いはさらに抑えつける以外に選択肢はないという、支配者の独善的な主張につながるのである。

重要なのは、集団的監禁という戦略が通常、望ましい選択肢ではない事だ。これの戦略は植民地支配者の他のもっと柔軟な支配の方法によって統治する能力が相当損なわれていて、民族浄化という手段はあまりに感情的動揺を起こすか評判が悪いので選択できない場合にのみ用いられるというのが常なのだ。

人種差別主義政権にとっては甚だ遺憾なことであろうが、これが今日の状況なのである。従って集団的監禁は植民地政策を続ける国家にとって、先住民族を支配する目的で可能な唯一の主たる選択肢なのである。

イスラエル/パレスチナ問題に戻ろう。ガザは1940年代に野外刑務所となった。15万人以上のパレスチナ難民がイスラエルによってその小さな地域(旧イギリス領パレスチナの1.7%の面積に過ぎない)に追いやられ、その地域に前から住んでいた6万人に加えられたのである。

その難民たちは、自分たちの土地や家に戻る事は決して許されなかった。そしてそれらは没収され、破壊されたのである。そして皮肉にもガザの監獄化が激しさを増したのは1990年代初めの「和平プロセス」の最中の事であり、封鎖と移動の制限と1994年のこの地区を取り囲む巨大な壁の建設が連続して行われたのである。2005年のガザからのイスラエルの撤退と選挙でのハマスの勝利の結果イスラエルの不法な包囲攻撃はこの地区を移動と商取引のほとんど全面的な禁止という形で孤立化させるものだった。

ガザは深刻なケースだが、例外的なものではない。建国以来イスラエルの民族主義官僚支配の政権はパレスチナ人の土地を収奪し、何百ものユダヤ人入植地を建設し、パレスチナ人にはわずかな飛び地しか与えないという施策で国のユダヤ化に絶え間なく取り組んできたのである。これらは軍事政権によって開始され1966年まではグリーンライン(訳注:1949年の停戦ライン)の中でのみで行われた。

ベドウィンの民のために南部につくられた「隔離された地区」は現在まで続いている。1990年台以降パレスチナ領地は3種類に分類され(訳注*3)、封鎖と検問所、そして最終的には壁の建設によって推進するパレスチナのスラム化が進行中である。これらはすべてパレスチナを離れ小島のように細く分断する事に役立つのである。(訳注*3:1995年のタバ暫定合意による。自治権の有無などの違いがある。西岸地区の61%で自治権がない。)

ユダヤ化の長期的な地理学的影響は劇的なものである。例えばイスラエルのパレスチナ人は人口の18%であるが国土の3%しか与えられていない。ヨルダンと海の間の全地域にはパレスチナ人の50%を少し下回る人口がいるが、彼らに与えられている土地は全体の13%にすぎないのである。しかし重要な事にユダヤ化はその限界に達したようであり、オスロ合意の時代以降、その実現のためイスラエルは植民地を地理学的に再構成している。

ガザとその他の飛び地の相違点はその隔離の度合いの深さであり、ガザでは反乱が絶え間なく起きていることである。ハマス政権は決してオスロ合意という幻想や、アナポリス中東和平国際会議の「2つの民族のための2つの国」といった「ロードマップ」を受け入れない。彼らは、そのような約束は空虚な美辞麗句であり、現在進行中の自分たちの土地に対する植民地支配の拡大を可能にするものだと理解しているのである。やがて約束されたパレスチナ国家はバラバラにされ、抑圧され、不毛の地にされるのである。

この危機にイスラエルはどのように反応しただろうか?個人を投獄するという大掛かりな作戦を同時継続しながら、ユダヤ人入植地を守るため必要だという理由で集団的監禁政策を強化しているのである。1万人以上が逮捕され裁判にもかけられず投獄された。その中にはパレスチナの議員が沢山含まれていた。監禁政策はこのように、監獄の中に監獄を作ったのである。

地政学的な監禁は治安確保の目的であると説明されるのがいつもの事である一方で、経済的な理由での魅力も増加しているのである。現在のグローバル化の潮流の時代において個人が商業や財政的活動を目的として往来することは発展繁栄のために不可欠である。地政学的な監禁は、望まざる輩たちを、持てる者たちに無縁の外側に隔離するのに役立つのである。従ってガザ周辺の進行する要塞化は、現在の侵攻も含め、ユダヤ人の経済的特権を守る仕組みとして導入されたのである。

パレスチナ人の暴力は、植民地支配者と被支配者との敵意の弁証法を通して、この地政学的監禁を作り出す一因となっている。例えばイスラエル市民に対する過去のハマスの砲撃と自爆攻撃は明らかにテロ攻撃であるが、これがイスラエル社会にガザ監獄化政策の実行を正しいと思わせてしまったのである。しかしパレスチナ人の暴力、特にガザからの砲撃も囚人の反乱と捉えられるべきなのである。これは目下のイスラエル国家の激しいテロ攻撃によって鎮圧され、市民の犠牲をさらに増やし、抵抗運動の最初の行為よりも計り知れない甚大な被害を作り出してしまうのである。これは圧制―抵抗―圧制という繰り返される循環であり、地政学的監禁それ自身の内部に潜む力学によって続いてゆくのである。

しかしながら、反乱という選択肢は制裁と虐殺を助長するだけで、地政学的な監獄は基本的に変わらない。この事に注目する事は重要だ。よって現在の侵攻が終ったとしも、イスラエルは依然として間違いなく、ガザ地区と(反抗的でない)西岸地区の両方に、この戦略を続けるだろう。そしてパレスチナ系イスラエル人を小さな飛び地に収容しているグリーンラインの内側では、もっと柔軟な形がとられるだろう。

私はこのプロセスを「忍び寄るアパルトヘイト」と名づけた。宣言されていないが強力な政治的施策で一つの支配権力下で著しい不平等がもたらされるという意味である。このような体制下では所属の民族と生誕地の組み合わせによって、どのような権利を持てるかが決まるのである。

移動と所有の権利の違いに注目する事で、これが最もよく理解できるだろう。ユダヤ人にはイスラエル支配下のほとんど全域で移動と土地購入の自由がある。一方パレスチナ人は分離された飛び地、ガザ住民はガザでのみ、エルサレム住民はエルサレムでのみのように自由が限定されているのである。

この種の地政学的現実は不条理の連鎖に満ちている。ここに一例がある。ガザ侵攻と破壊は失墜したイスラエル政府によって実行され、敗退したアメリカの政権によって積極的に支援されたものだ。

力を失った二つの政府が、自らが消え去るまでの残された日々の中、民主的に選ばれたパレスチナ政府を残虐に攻撃しているのである。この不条理は次の不条理につながる。過去2年間ガザを包囲攻撃してきたイスラエルを非難し制裁を課す代わりに世界はハマス政権に制裁措置を課したのである。

このようにして、占領された人々は2度罰せられたのである。1度は残忍な占領によって、2度目は抵抗の試みに対して。

悲しい事にこのような不条理は、地政学的な集団監禁の一部分なのであり、驚くべき事ではない。このような状況下では植民地の支配権力は囚人が抵抗しない場合にのみ、囚人側の指導体制を認めるものなのだ。それは現在の、西岸地区のアッバス政権の場合と同じようにである。しかし反乱が起きた場合、指導者達は虐げられ、しばしば消されるのである。

さらに少し(全面的にではなく)驚くべき事かもしれないが、イスラエルの指導者と社会は、地政学的集団監禁は時間稼ぎに過ぎないという事実を歴史から学んでいないのである。このような方法が正当性を得るのは不可能で、従ってこれを行う側に安全を創造する事ができないのである。それどころか集団的監禁を行う国は不安定化し絶え間ない反乱が起きることで、徐々に蝕まれていくのである。

集団的監禁の現実に反対して締め括るのに、マフムード・ダーウィッシュの名言を聞くのが賢明だろう。『(私の房の)看守が私の目を見た。私には彼の恐れが見える。彼もまた、私の恐れを見る。現在の看守は既に未来の囚人なのである。』

関連記事「時事寸評」

【翻訳委員会:D】

[1] http://www.newmatilda.com/2009/01/09/israel-gone-too-far

[2] http://www.newmatilda.com/2009/01/08/world-gives-israel-green-light

Professor Oren Yiftachel

オレン・イフタチェル教授は、ベングリオン大学(ベールシェバ)で、政治地理と都市計画を教えている。広範囲な民族紛争の地政学(‘political geography’)について書かれた教授の著作の中には次のものがある。「民族支配体制〈エスノクラシー〉:イスラエル/パレスチナの土地と独自政治」(Ethnocracy: Land and Identity Politics in Israel/Palestine [2006, Pennpress])、「対立するイスラエル人」(Israelis in Conflict [ed, 2004, Sussex Academic Press])。教授は、イスラエルの主要な新聞HaaretzとYnetへ時々寄稿している。そして、B’tselem(イスラエルの暴力を告発するイスラエルの人権団体)、未認可村のベドウィン族議会、Adva(テルアビブに本部がある人権団体)、そして、イスラエルとパレスチアの平和のために仲間が創立したFaculty for Israel-Palestine Peace (FFIPP)を含むいくつかの平和と市民社会活動団体のメンバーである。

関連記事:

コメント:0

コメント欄
個人情報を記憶する

トラックバック:0

この記事へのトラックバックURL
http://www.davidicke.jp/blog/20090112/trackback/
Listed below are links to weblogs that reference
参考記事 『獄吏国家』 オレン・イフタチェル from David Icke in Japan

ブログトップ > 参考記事 | 第二期記事 > 参考記事 『獄吏国家』 オレン・イフタチェル

最近の記事
最近のコメント
  • Loading...
タグ一覧
カテゴリー
アーカイブ
ページ一覧

ページの先頭へ