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陰謀否定論者は、コチコチに凝り固まった心性の持ち主

このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。

デーヴィッド・アイク、ニューズレター 2007年4月29日

陰謀否定論者は、

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コチコチに凝り固まった心性の持ち主

みなさん、こんにちは。

私は今週、英国のテレビ局チャンネル4の質疑応答形式のドキュメンタリー番組に出演しないかと問い合わせを受けた。「誰が世界を支配しているか?」という題目のこの番組はチャンネル4の教育制作部による若者向けの企画で、学校や大学に配給される予定である。

現在大多数の若者が、政府や一般公共機関、さらにはチャンネル4にさえ不信感を抱いている、という調査結果が出たために、この番組の制作が決定されたのだ。日々公然と嘘をまき散らし続けている勢力についての番組を繰り返し見てもらえるなんて、すごいニュースだ。

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このドキュメンタリーの中で私は、ロンドンのゴールドスミス大学のクリス・フレンチという学士であり、博士である心理学者と話をすることになった。彼は英国心理学協会(FBPsS=Fellow of the British Psychological Society)及び英国王立芸術協会(FRSA=Fellow of the Royal Society of Arts)の特別会員でもある。つまり、知性のある人間に違いない。フレンチは驚異的な研究をいくつか行なっている。

私が「驚異的な」という言葉を取り立てて用いたことにご注意いただきたい。驚異的なほどうるさかったからである。彼と彼の研究仲間が「陰謀論」についての疑問を投げかけ、彼らが見つけたのは、次のことであった。

  • 公的権力を信用している人々は陰謀論を信じないことが多いようである。
  • 公的権力に不信感を持つ人々は陰謀論をより信じやすいようである。

アカデミーは偉大じゃないのか? 彼らがいないと我々は生きられないのか? 誰でも自分の脳で考え、彼らより先に答えを見つけて言うことができる。もちろん、それが真実ならば。公的権力を信用しない人たちは、公的権力のことを性善説で考えて人々にとって大事な事柄に尽力してくれているものだと考える人々よりも、公的権力が嘘をついているという主張を受け入れやすい。で、それで?

番組の中で、私がフレンチとの対話の中で彼に述べたように、問題点は、誰が世界中の事件を陰謀論的に捉らえようとするか、しないか、ではない。問題点は、そうした主張が真実であり、証拠の裏づけがあるのかどうか、ということだ。要するに、陰謀が現実に起こっているのか、そうでないのか、なのだ。

これは、しかし、学界の思考停止を示すにはあまりにも単純で直接的だ。私の経験からして半永久的に停止している。証拠のことはどうでもよくて、陰謀だと信じ込むのは、そういう人々のどこかに狂ったところがあるからだ、結局、陰謀など本当はあるわけない、そんなもの、私たちは信じない、となる。それなら、調査研究を行なって、明らかに背後にあるものはないものとして、そして陰謀が起こっているのかどうか、といったどうでもよい些細なことは忘れましょう。

フレンチは、「陰謀論」を信じ込む人々は、信じない人々よりも「妄想を抱きやすい」と、彼ら研究者たちが見つけた、と私に語った。「妄想を抱きやすい」、という言葉の精神病理学的な定義は、「反証があるにもかかわらず誤ったことを信じ込むこと。特に精神病の兆しとして、被害妄想がある」、となっている。

陰謀否定論者たちは、公的権力の人々がイラクに大量破壊兵器が存在すると述べた、というだけの理由で大量破壊兵器が実在すると信じ込むことに対して、「妄想を抱きやすい」と考えないのは、どういうことだろうか。お分かりだろうか、陰謀がないと思い込むほうが、事件の公式説明を裏付けているので学者にとっては信じられるのだ。地球外生命体を信じるのと似ている。私たちが知っている通りの生命という考えは、ただこの小さな惑星で進化したものであり、他にどこにもないと考えられる、というのはまさにクリス・フレンチのような、人々が従うべき既成の体制的見方だからである。したがって、宇宙空間の知覚されうる広がりの「はるか向こうに」他の生命体が存在するはずだ、という考えが「妄想」、「あの人は緑色の小人がいると信じ込んでいる」とみなされてしまう。そしてまったくばかばかしいと。

この現象の好例といえば9/11に関するイスラムのハイジャック犯についての論調ほど、私が「逆の信憑性」と呼ぶにふさわしいものはない。小型飛行機の教習所で単一エンジンのセスナ機のパイロットになるための訓練を受けていた19人のイスラムのハイジャック犯が、ずば抜けて人並みはずれた腕前でジャンボジェット機を操縦する能力をぶっつけ本番で示せる、という話を正しいと信じ込むことが出来るとしよう。そんなことは明らかに馬鹿げている、と言うと、「陰謀論」としてフレンチのような人から相手にされなくなる。この人は、9/11の公式説明を擁護しようとして、操縦の出来ないハイジャック犯のパイロットの話まで擁護しようとしていた。

私はこの人に、ご自身の研究で「妄想を抱く」ということの定義を問いただしたが、彼の答えは「すべての人が携帯電話で追跡されていると思いますか」という質問に「そう思う、と答えるような人のことだ」であった。

もう一度言うが、フレンチや彼の仲間はそうした人々が妄想を抱いているのかどうか、一度も表明していない。この問いに対する彼の説明のみが問題である。誰でも携帯電話で追跡されうるし、特に目をつけられている人々が多くいるというのが事実なのである。誰もがみな追跡されている、とは私は思わない。なぜなら公的権力にとって、大多数の人々は問題ではなく、追跡する理由もないからである。

日ごとに監視が強まってきているため、そうしたことがありうると考えると、今度は「妄想を抱く」とみなされる。フレンチはそうした表明が真実かどうか知らないで、そんなの間違いに決まっている、そのように考える人々は妄想を抱いているかもしれない、あるいはそうに違いない、と思い込んでいる。なぜかというと、彼自身が間違うわけない、と思い込んでいるから。

フレンチは、私がオーウェル的国家を強引に押し付けようとするグローバルな陰謀について書いた本のことを語ると、証拠が何もないと言っていた。そこで私は、きっぱりと問い正した。「あなたは、どれでもいいから私の本を読んだことあるのですか」、と。彼の答えは「ノー」だった。

こうしたことは、彼のような類の輩に極めてよくあることで、このように学者でありながら同じ台詞をオウム返しに繰り返すことによって、それが「科学」あるいは「心理学」だ、などと言う人々を私はたくさん見てきた。確かにそういう人々は「陰謀否定論者」であるが、証拠となるものを実際に調べた上で、主張している事柄が妥当かどうかの検証を行なおうとは決してしない。

私は、彼が言うことは、一方で証拠がないと言いながら、その証拠を私が本の中で示しているのに一冊も私の本を読もうとすらしないので、まともに相手にするつもりなどない、と述べた。「あなたはそういう方針に沿って行く人だ」、と彼は言っていた。それなら、この状況下で他にどのような方針があるのだろうか。

もし駅が近くにないにも拘わらず列車で旅行しようと固執した意見を言う人がいたなら、フレンチのような人々は心理学的欠陥があると言うだろう。しかし、まさしくそれこそ彼と彼の仲間たちが言うことである。彼らはコチコチに凝り固まった心性しか持たず、証拠をザッと一目でも目を通すことすらせずに、何かあることを確信している人々に対して妄想を抱いているとして食って掛かるが、クリス・フレンチのように、何かを調べようとしないまま「証拠がない」と意見だけ言う人たちである。彼らは鏡に映る自分の姿を覗き込んで自己満足しているだけなのである。

私がフレンチに、彼が読みもしないで証拠から目を背けたことを突っ込んでみると、彼が言うには、メディア報道に出ていた記事を読んでその中で私が述べたとされることを知っている、とのことだった。私たちは、近年、最もまともに表舞台に出てこないような人々のことを語っているというのに、私が本当に言っていることをニュースメディアの報道から分かると思っている考えは、もう笑うしかない。もっとも、私が彼と話を始めた最初の瞬間から、自分がおとぎの国(Fairyland)にいるのだと分った。

彼は、「偽書であると証明済み」である「シオン長老のプロトコール」と呼ばれる文書を元に私が本を書いた、と言った。私は、私の本が本当にその文書を元に書かれた、とどうして分かるのですかと突っ込んでみた。彼は新聞に書いてあることを読んだのだ。私の本を読んだ人たちならすぐにわかることだが、彼の言うことは全く馬鹿げている。彼にとって事実はどうでもよかったのだ。

この人がとことん突っぱねるようとする「陰謀論」の言動のあり方とされるものと、「陰謀否定論」の言動が全く同じ調子で次のようになっていることに、私は強い興味を持った。

  • 彼は、陰謀論者は証拠もなしに陰謀のことを信じ込んでいると述べている
  • しかし、彼本人は証拠をまるで見ようとしないで、頭から陰謀をないものと決め込んでいる
  • 彼が言うには、「陰謀論者」は何でも自分流の論理につじつまを合わせようとしているという
  • そして、彼はいつも自分の陰謀否定論につじつまを合わせるために何でもいいから適当な理由を見つけようとしている

クリス・フレンチは他の人の何もかもすべてを非難していた。私は、9/11の時に航空機が炎に包まれて砕け散り、二棟のタワーとも粉々になって倒壊し、機体の何千という破片を修復することが不可能だったのに、ツインタワーの近くでハイジャック犯の紙のパスポートが見つかったとするFBIの主張について、どう思うのかを尋ねた。彼の話はこうだ。この建物のどこかの階でガス爆発が起こって損壊を引き起こしたが、中にいたその人は無傷で出てきたのだ。

私はさらに話した。FBIがパスポートを提示したことはなく、そして、このパスポートを発見した、という発表の記者会見を1年も経ってから行ったが、当局は、テレビのドキュメンタリー制作班にハイジャック犯のパスポートが見つかったというのは「真実に見せかけた噂である」と語っていた。

こうして、紙のパスポートが実際に残っていたというフレンチの論法は行き詰り、他の論法でもひねり出さないといけなくなっていた。彼が言うには、おそらく通信内容に混乱があり、記者会見を行なった人々はパスポートがなくても見つかったと述べろ、と命じられていたのだろう、ということだ。そのことを彼は検証したのか? ノーだ。最後までそれを検証するのだろうか? これもノーだ。この人の陰謀否定論はいくらでも言い逃れをするつもりでいる。

私たちの対談での共通点は、フレンチが自説に合うように何でもつじつまあわせをするための抜け道を見つけようとしていたことだ。結果に行き着くために調整できたいくつかの可能性のある出来事も、彼の防壁を破るということは全くなかった。彼は、複雑な世界を理解できるように組み立てた「陰謀論」を非難するとき、まったく同じ方法で「陰謀否定論」を組み立てて居る。

フレンチだけではない。彼のプログラムされた青写真は、世界中にいる同じような地位が固まっている人たちに見られる。私が数年前に、クリス・フレンチのような番組制作の方針とは全く違う番組制作の方針をとる大学の心理学者とカナダのテレビ番組に出たときのことだ。彼は、複雑な世界の把握の仕方を見出そうとする人が陰謀論を信じ込むのだといっていた。この考えもフレンチが今週、私に語ったのと一字一句違わないくらい瓜二つで、それというのも彼らは、いずれも同じコンピューターの本体を共有しているからだ。

私は、このカナダ人にビルダーバーグ・グループについて私に語ってみてください、と頼んだ。彼は何も語ろうとせず、自分の陰謀否定論をぶっていた。彼は、もし私の言うことが正しければ、私がバンクーバーでこの話をすることを公的権力がどうして許可するだろうか、と言っていた。私は、講演を差し止めようとする圧迫を受けていて、私たちが先月集合場所をその都度変更して立ち去り、大手書店で行なわれる予定だったサイン会が中止に追い込まれたことに触れた。彼は自嘲気味だったが、この事実を忘れてしまいたいかのように、立ち去っていった。

撮影のあと、クリス・フレンチは、ロンドンのパブにある「懐疑派の会」で話をしてくれますか、と私に聞いてきた。私は断った。話の焦点がまったくなかったからだ。「懐疑派の会」というのは、科学的な懐疑主義を推進し、えせ科学や迷信及び非合理な信仰といったものが広まることを阻止するために奉仕するコチコチの凝り固まった石頭の集まり(forum)なのだ。それでは壁に向かって話すようなもので、旅をしてまで壁に向かって話をする必要などない。

疑り深い(skeptical)ことは良いことだと一般には言われている(英国のスペルはsceptical)。しかし、そうではない。疑問を持つことや何かを研究するならよいのだが、それは懐疑的というのとは少し違う。「懐疑論者」というのは、確固たる地位にあり、すべての証拠を逆にフィルターにかけて除いてしまって、常にどこからでも、荒唐無稽でもいいから平気で何か別の説明を思いついて論じる人々のことだ。彼らは確固たる地位に挑むような別の説明を見つけたら、こうした人々は自身の確固たる地位に固執するかもしれない。まさしくそれが、訓練づけられた考え方そのものだ。自分たちの信念を守ろうとするのだ、彼らは自分たちが思いついた説明が妥当かどうかなどは問題にもしない。詳しく調べるなど決してしない。彼らは何か思いついたら、あるいは何も思いつかない限り、それだけで考えを守るのに十分足りると思ってしまう。

「懐疑派の会」に関するこうした方針をもう一度見てみよう。「……科学的な懐疑主義を推進し、えせ科学や迷信及び非合理な信仰といったものが広まることを阻止する」。何が、えせ科学や迷信及び非合理な信仰といったものにあたるのかを、誰が決めるのだろう。彼らだ。

彼らが固定観念のまま何がどうなっているかを決めるのだ。私はかなりの数のこうした人々に出会ったが、彼らは自分たちが恭しく信奉する規範にかなっていないものなら、まさに躍起になって何でも拒絶する道を見つけようとする。

こうした「科学」及び科学的「規範」に隷従することは懐疑論者にとっては9/11に関するもののように、陰謀研究を拒絶することを意味する。いわゆる「超常的な」事柄について触れることを激しく責めてあざける人々と同じ人々だ。私はこうした性質の人々を繰り返し見てきた。会合の後、クリス・フレンチが経歴の上で何をしてきたのか、もう少し詳しく知ろうと思い、この人のウェブページを見に行ったときはおかしくて、すぐにクスクス笑ってしまった。次のように書いてあるものを見つけてしまった。

「私の目下の研究は、主に二つの領域です。まず第一に、超常信仰の心理学で、もう一つは明らかに超常的な体験です。多くの人々が超常的な事柄があると思っていますが、超常的な事柄を主張するのに裏づけとなる証拠は一般に科学用語ではあまり説得力がないのです。個人が直接超常的なものを体験したと主張する機会の大部分(おそらく全て)につき、明快で非超常的な別の説明が見つかるように思えるのです。

こうした別の説明は、しばしば記憶、知覚及び判断に関連のある知覚心理学者たちが研究している、人間の情報処理の不完全さに基づくものです。欺瞞及び自己欺瞞の心理学もこの分野で重要です。私は、よく、様々な種類の超常的な主張を取り上げるテレビやラジオの、懐疑的な知覚についての番組に出ています。最近になって、私はこの分野の研究に焦点を当てて活動する部署内で異常心理学研究所を開設しました。」

これこそ、閉ざされた考え方の人が言うことだ。新しいことを見つけようとする研究をしないで、現状の信念を確かめるような「研究」のみ行なっているのだ。大学の学問の多くは別の形の宗教であり、他のあらゆる境界線を拒もうとする別の信仰形態なのだ。大学の学問は宗教を小馬鹿にしたりあざけったりすることが多いが、科学それ自体も同じあり方をしている。

両者の共通点は何か? コチコチに凝り固まった心性である。

(翻訳チーム: △▽)

このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。

【註】

デーヴィッド・アイクは、二〇〇七年四月二十九日付けの英文ニューズレターで、ノー・コンスピラシー・テオリー(陰謀否定論)をていねいに検証している。

アイクは、この文章の中で、「懐疑論者」を俎上に乗せている。日本は、西洋欧米から「懐疑論」「懐疑派」「懐疑主義」「懐疑主義者」と言ふイデオロギー、イズムを本格的には輸入して居ない。

アイクは、イルミナティ体制派が、陰謀否定論を大衆(ドレイ)の中に注入させるに当って、懐疑主義が重要な、又は決定的な武器とされる、と言う趣旨のことを述べて居る。

「懐疑的になったり、英国でこの言葉の意味どおりに懐疑的であることはよいことだと一般に言われるが、そうではない。疑問を持つことや何かを研究するならよいのだが、それは懐疑的というのとは少し違う。懐疑論者というのは、確固たる地位にあり、すべての証拠を逆にフィルターにかけて除いてしまって、常にどこからでも、荒唐無稽でもいいから平気で何か別の説明を思いついて論じる人々のことだ。………」

英国では、「懐疑論者」には、高い評価と名誉が与えられて居ると。

それは何故か?

十六、七世紀、イルミナティがブリテンをイルミナティの新しい世界センターとして構築し始めたとき、彼らイルミナティは、思想戦争、イデオロギー戦争、世界観戦争、プロパガンダ戦争、要するに言語戦争に、優先順位第一位、を与えた。

イルミナティは、ブリテンを根拠地として、全人類の言語、精神、魂をドレイ化するのである。

そのための主たる任務は、「世界的スタンダード」「グローバル・スタンダード」を捏っち上げることである。

彼らイルミナティがグローバルスタンダードとして押し出した言語、イデオロギー。

そのイデオロギーに反するイデオロギー、その説に反する説、それらの異論を執念深く反論し、否定し、おとしめ、排除していく。

まさに、この仕事の主力軍隊として、ブリテン(イルミナティ)は、懐疑派、懐疑主義者を育成しているのである。

(了)

「太田龍の時事寸評」より抜粋
平成二十年(二〇〇八年)四月二十八日(月)
(第二千四百四回)

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