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「知性」という… マインドの牢獄

このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。

デーヴィッド・アイク、ニューズレター 2008年3月2日号

「知性」という…

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… マインドの牢獄

みなさん、こんにちは…

今週はオックスフォード大学で話をした。より正確にはオックスフォード・ユニオンという、1823年に創設された、ディベート・クラブである。ここは過去185年間、たくさんの有力政治家を生み出すとともに、彼らの演壇となった場所だ。

5人の英国首相がこのユニオンの幹事だった。それは、ウィリアム・グラッドストン、ソールズベリー侯、ハーバート・ヘンリー・アスキス、ハロルド・マクミラン、エドワード・ヒースだ。そして政府閣僚やその他政治家がたくさん名を連ねている。その中には暗殺されたベナジル・ブット元パキスタン首相も含まれる。彼女は1977年のユニオン会長であった。

私には、歴代のユニオン出身者からこれほど多くの政治家が出た理由が理解できる。1989年、ここで初めて英国緑の党の国内広報担当としてディベートに参加した時のことを覚えている。ユニオンの学生メンバーが議題について賛成/反対のどちらの側から語るのかを、クジで決めているのだとわかった。

クジ引きで決まった立場を信じているかどうかは問題ではない。彼らの仕事は、自分の意見を熱心に売り込む事であり、それはしばしば創作された意見なのである。そして私は彼らの出来栄えの良さに驚いた。従って当然ながら、これは将来の政治家にはうってつけの訓練プログラムとなる。彼らは将来議会に登場して、自分では本当は支持していないことに賛成するために、嘘をつき、人を迷わし、発言するのである。

い政治家にしてやると言われても、私にそんなことは無理だ(助かった)。心にもないことを言おうとするだけで、言葉が喉に詰まってしまう。反対の立場を理解することと、自分が賛成していないものを正当なものとして強く主張することはまるで違う。しかし、ここではかなりの者が、それをたいそう説得力があるように行う。

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オックスフォード・ユニオンのディベート・ホール

ユニオンには英国の歴代の有力政治家がその全盛期に訪れディベートしている。また海外の著名な有力者も来訪している。レーガン、ニクソン、カーターなどアメリカ大統領、国務長官経験者、イルミナティの看板役ヘンリー・キッシンジャー、そしてJFKの弟で暗殺されたロバート・ケネディー、南アフリカのデズモンド・ツツ大司教、マザー・テレサ、ダライ・ラマ、そして、カーミット(カエルのマペット)やマイケル・ジャクソンまで登場している。

私はここで数回ディベートしたことがあり、今週は、ある少数の者が世界の独裁支配という目的で、いかに多数を支配しているかについての情報を公開するよう依頼された。心がオープンな人も参加していたが、私がここで再び出会ったのは、これまでオックスフォードとケンブリッジに来て、毎回目にしたものと同じだった。知性は自ら「自分」を閉じ込めたマインドの牢獄であるということだ。

世界で最も権威あるこの大学では、どのように情報を提示するのが最良かと考えていた時、自分が特定の分野や概念を除外しているという一見奇妙な行動を取っていることに気づいた。そうしたのは、除外したものが知性には過剰な情報となるだろうと知っていたからだ。その代わりとして、情報を赤ちゃん用に簡略化した。

何だって? 知的「エリート」の総本山では“赤ちゃん用”を提供するのに、様々な年齢層や人種からなり、背景をもつ「一般人」の聴衆に向けて、ブリクストン・アカデミー[訳注*1]のイベントなどでは、何でも出せるって?そうした人々の大半がオックスフォードはもとより、大学の中を見たこともないのに?[訳注*1:南ロンドンにある中規模のホール。主にポップ・ミュージックのコンサートが行われる。]

なぜか? “知性”、それが理由だ。

自分を取り巻く、いわゆる「社会」を見れば、それがハートではなく、高次の意識でもなく、知性によって創られたことがわかる。教育システムは知性を崇め、試験によって、政治や金融、ビジネス、科学、教育、メディア、軍事を次世代に司る、最も優秀な知性の持ち主たちを見つけ出す。これがオックスフォードの役割である。

オックスフォードとその朋友ケンブリッジはたいへん古い大学である。ここには主に「最優秀」校出身の試験成績が最も優秀な者が送り込まれ、支配権力が定めるように世界を見るよう洗脳され、将来支配権力の使用人となるのである。彼らはここで、エリート家系のもつ影響力や、大富豪の子女が通う名門私立校のネットワークによって、オックスフォードやケンブリッジ進学を果たした生徒たちに、合流するのである。

アメリカでも事情はほとんど同じであり、ハーバードやイェールなど、アイビー・リーグの大学では、「ふさわしい」家の出であれば入学は実質的に保証される。

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イェール大学、発想の元になった オックスフォードとケンブリッジにそっくりだ。

従ってイェールやオックスフォードやケンブリッジなどの「学問の中心」では、試験に合格したことで最も優秀な知性をもつと考えられる者たちと、イェールのジョージ・ブッシュ少年が典型的な例だが、両親や祖父母のおかげで入学できた者たちが一緒になっているのだ。

こうして、我々は支配権力を統括する家系の子供たちと、次の世代に彼らの代わりに支配権力を運営するであろう者たちが、同じ内容の「教育的」プログラムと、知覚プログラムを共有している。これが何百年も続いているのだ。

しかしオックスフォードはエリート中のエリート大学であり、イルミナティの世界支配の目的に奉仕する知性を育てる、世界の一等地なのだ。これが悪名高いセシル・ローズの1902年の遺産でいわゆるローズ奨学金が創設された理由である。この奨学金は海外から厳選された学生をオックスフォードという洗脳マシンに送り込むのである。この洗脳マシンには次のような座右{ざゆう}の銘がある。「Dominus Illuminatio Mea (ラテン語)」=「主は我が光なり」。一体どの「主」のことなのだろうか?

ビル・クリントンはローズ奨学生としてオックスフォードで学んだ。そしてローズ奨学金を受けなくとも、世界各国のエリート家系がその子息を「西欧化」つまり「イルミナティ化」するために送り込んでいる。そして帰国した子供たちはオックスフォードの設計図に沿って自国の社会を変えるのである。オックスフォードは世界を「西欧化」する最も有効な手段となっている。

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JFKに会うビル・クリントン。クリントンはローズ奨学金でオックスフォードに学んだ。

別の奨学金を得てイエズス会ジョージタウン大学に進み、その後イェールに行った。

「選ばれし者」とはこのことだ。

オックスフォードは25人の英国首相と、多数の海外の指導者を輩出している。20人のカンタベリー大主教、支配権力の奉仕者の大物たち、ルパート・マードックのような大衆を操る輩たちだ。彼の会社や他の報道機関はオックスフォードとケンブリッジ(『オックスブリッジ』)の卒業生で溢れている。政党や、行政府の上層部、医療、主流派の科学、軍事においても同様である。オックスブリッジはまた英国情報機関の諜報員の主要な人材の供給源であり、彼らは幼児がするような「知的」ゲームをして他人の命を玩ぶことになるのだ。

彼らすべて、少なくとも大多数に共通するものは何だろうか?彼らはエリートのイルミナティ血族と同じように、知性の囚人なのである。我々の社会が意識の最も低い表現のひとつである「知性」を基礎とし、「知性」によって創られているのはそのためだ。

知性は圧倒的に左脳を通じて表現される。左脳は「物理的」現実、順次的、「合理的」、分析的、客観的なものを扱う脳の部位である、しかし私はそれらの「現実」を見、触れ、味わい、聞き、嗅ぐことができるだろうか? それが存在するとしよう。左脳、すなわち「知性」は五感を通して現実を受け取り、世界を全体としてではなく、部分の集まりとして理解するのである。再び我々の「社会」を見てみよう。

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「教育」の背後にある理想は、私が「左脳の囚人」と呼ぶ状態を発達させることであり、オックスフォードのような場所では、それが最も極端な形で行われている。この知性の囚人を作り出すことが支配権力の目的であり、我々が小学校の初日に椅子に座った時から大学を卒業する日まで行われる。

この「教育」システムの中で、人はどのように進歩するだろうか? 試験に合格する、つまり左脳に情報を取り込み、試験用紙にそれを再現することが効率的であればあるほど、より早く、高度に進歩したことになるのである。(エリート家系出身者を除いて)これが見事にできれば、最終的にオックスフォードかケンブリッジ、ハーバードかイェールにたどり着く。

医師や科学者、有力政治家、キャリア官僚、軍将校などになるには一般的に何をすることが必要だろうか? 試験に合格すること、そして「良い教育」(良い洗脳)だ。年世代も絶えることなくこのシステムを運営し続ける機関は、左脳あるいは知性の奴隷となっている人々によって支配されている。このような人々は、各々の物事を全体のまとまりと関連付けて見るではなく、その一部と関連付けて見るのだ。

この事から、たくさんのことに説明がつく。

右脳は知性と対をなすもので、無作為な、直感的な、全体的な、そして主観的な物事を扱う。右脳の視点は全体性、創造性の自由な流れであり、有限ではなく無限なのである。右脳の表現の最も典型的な例は、芸術と異端者である。

「教育」と呼ばれる、イルミナティのソーセージ製造機の目的は、右脳を抑制する一方で、左脳を活性化し、刺激し、報酬を与えることだ。そしてこの過程で最も成功した犠牲者がこの支配権力を運営管理することになるため、社会は彼らの頭の中で形成されることになる。

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私が大学でたくさんの左脳中心の人々、特に「エリート」のそれに出会うのはこのためだ。著しく活性化された知性なくしては、彼らはここまでたどり着けなかったであろう。しかし、“もし”マインドを他の高次な意識のレベルに開けば、発達した知性を持ちながら、その限界に従わないことも可能である。

このような人々は「全脳的」と呼ばれる。彼らは脳の両半球使って様々な意識レベルを釣り合わせ、繋ぐのだ。そのような人々は「あちら」側、「こちら」側、「両方」の世界に行き来し、依然として五感でとらえる現実の中で活動しながら、高次の視点からも見ることができる。そして「あちら」側の知識を、知性を通して大抵の人が理解できる言葉で伝えることができるのだ。

私は知性を攻撃しているのではない。知性がなければ、我々は身体というコンピューターを通して効果的に自己表現することができないからだ。天空のどこか“彼方”にいて、5感の現実で機能しようともがいていたり、大多数の人々が理解できる方法では自己表現できないといった「右脳中心の」人々に会ったことはないだろうか?私は長年、あまりに多くのこのような人々に出会っている。

従って、五感を通して効果的に機能するために、我々は知性を必要とする。しかし知性はふさわしい場所にとどまり、知覚の支配者となってはならない。知性だけが優位な立場にあれば、知性はモンスターとなり、最も驚くべきレベルの無知のなすがままになりうるからだ。

こういうわけで、左脳に偏った聴衆を相手にするのは最も能力が試される。そして私は左脳偏重の聴衆が一般的でないような大学には、行ったことがない。しかしもちろん、これはすべての個人に当てはまることではなく、大学にも全脳的な人々は存在する。

私がしばしば目にしたのは、知的な人々が左脳の奴隷となっているだけでなく、左脳という制限された現実の中にある設計概念の奴隷になっているのだ。例えば、今週私は、オックスフォードの多分17,8歳の学生2人と話していたが、社会は「主導権を握った」政府がなくても機能しうることが2人とも理解できなかった。

それは社会の調整役としての政府ではなく、「支配管理する」力としての政府のことだ。私には彼らが理解できない理由が分かる。彼らの知性は、知覚の潜在能力の小さな箱の中のレベルで発達したに過ぎないからだ。しかしこの箱は他の意識レベルを締め出しているために、他の可能性を締め出している。

手短に言えば、彼らの閉ざされた知性は、いろいろある観点のひとつに過ぎないということだ。そしてこうしている間にも、イルミナティの人材発掘者たちは契約書を作成しているに違いない。

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(申し訳ありません。追って通知があるまでマインドは閉鎖中です。)

どのように一握りの人々が大衆を支配できる(左脳的)のか、私がその仕組みを説明していた時、それが理解できると言ったオックスフォードの別の出席者がいた。しかし私がその後話していた現実の幻想的自然界(右脳的)についてはどうしても理解できなかった。

脳がどのように働くかを、そして支配権力の体制(特に教育)がどのように脳の認識をプログラムするよう設計されているかを、一旦理解しはじめれば、我々の社会もその働きも同様であることが、より明らかになる。

それ故、私が「無学な」大衆には語ることができ、彼らが「理解する」のは謎ではない。その一方で、いわゆる知識階級(『エリート』学生同様に大人)の選りすぐりの人々は疑念の眼差しで見られるのである。

これは、たくさんの意識レベルを機能させ、それらを探求する、開かれたマインドと、五感の認識によって囚われの身となっている知性という閉じたマインドの違いに他ならない。

必然的に、知性によって創られた社会は、知能を知性の優秀さによって計る。しかし知性と知能は同じものではない。少なくとも知性が単独で機能していれば、同じではない。試験に合格することが知能の尺度にならないのは、頭がよくても英知の尺度にはならないのと同じだ。

原子爆弾を作るのは、頭がよくなければできないが、あえて作らないようにするのは英知の働きなのである。同様に、戦争を指揮するのに知性は必要だが、戦争をしないのは、高次の意識であるハートなのである。分裂と分離に支配されたこの世界の見かけ上の複雑を説明するには知性が必要だが、我々がみな「ひとつにして全体」であることを理解するには、高次の意識であるハートが必要なのである。

我々が生きているこの現実は知性によって作られているが、ハートによってのみ変化が起きるだろう。エリート大学かそうでないかを問わず、これまでになく大学のシステムが的外れで、最先端から離れた別世界にあるのは、このためなのである。

知覚の革命が姿を現しつつあるが、孤立した知性には絶対にそれが理解できないし、知性を偏重することが、実際にはいかに無知な行いなのかということも理解できないのである。

【翻訳委員会:◇D】

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