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Rインドの奥地で、流れに従う
2009.02.19 09:54
カテゴリー:再投稿, 第二期記事
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このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。

デーヴィッド・アイクニューズレター, 2008年11月09日

インドの奥地で …

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… 流れに従う

みなさん、こんにちは…

世界がアメリカを「支配する」次の操り人形に気をとられている間、私は南インドの奥地を旅している。いや、すごく暑いが、すばらしい。

数週間前、私はカリフォルニアで講演をした時、あるイベントで「マハリシが語る ‘The Maharshi and His Message’」というターコイズ・ブルー色の薄い本をもらい、すべてがここから始まった。この本がふと気になったのは、労を惜しまず送られてきた、たくさんの手紙や情報に目を通していた時だった。

その本の著者がポール・ブラントンであるとわかると、さらに興味がそそられた。昔、一人になるといつも、ある女性の霊能者(訳注:ベティ・シャイン)の存在を周囲に感じていた。それは何ヶ月も続いたが、とうとう1990年の3月に彼女に会いに行った。面談中、彼女は変性意識状態になり、私に向かって、彼女の心の中に見える、ある「男」からの情報を話し始めた。(それは実際には思考の投影だ)

その「彼」は私がすることになるだろう事柄を告げた“その時”、とても素晴らしいものに聞こえたが、それが実現したとか、実現中となったのは、その20年後だった。唯一当たらなかったのは「いつか彼(アイク)の体は(関節炎が)完治するだろう」ということだ。面談の途中その霊能者が「ポール・ブラントンがあなたの近くにいるわ」と言った。「そのポール・ブラントンっていうのは一体誰なんだ?」と思ったのが私の直後の反応だ。それは全然聞いたこともない人物だった。

調べてみると次のことがわかった。ポール・ブラントンは1898年、ラファエル・ハーストとして生れ、後にポール・ブラントンと改名している。第一次世界大戦で戦い、その後インドで悟りの探求をする前はジャーナリズムの世界で働いていた。彼は1981年に死去した。彼の仕事についてはこのサイトを読めばさらに詳細がわかる。 www.paulbrunton.org

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ポールはインドを旅し、たくさんのグルや聖者に会った。しかし、南インド、タミル・ナードゥ州ティルバンナーマライ近郊に、ヒンドゥー教徒にとっての神聖な山であるアルナーチャラ(『赤い山』)という山に住むシュリ・ラマナ・マハリシを探し出すように強く薦められるまで、これまで会ったほとんどの聖者にあまり強い印象を受けなかったようだ。私が今みなさんに、これを書いているのは、その場所だ。

ポール・ブラントンの1930年代のラマナ・マハリシとの経験は、彼の人生を永遠に変えた。そして彼は「西欧の神秘主義者」とでも呼ばれるものなり、西欧の視点からこの東アジアの知識を説明する一連の著作を生み出した。

その中の1つが「秘められたインド ‘A Search in Secret India’」(邦訳あり)という著作で、私が数週間前にアメリカでもらった「マハリシが語る」という薄い本はこの本からの抜粋で、アルナーチャラでのラマナ・マハリシとの日々を描いた部分なのである。

私はアメリカで、友人のレジーナとスコット(メレディス夫妻)のところに泊まっていた。コンシャス・メディア・ネットワーク(Conscious Media Network:http://www.consciousmedianetwork.com/home.htm)というすばらしいウェブサイトを運営する彼らはサクラメントの北に住んでいるので、ロサンジェルスの私のイベントの後、そこまで帰るのに400マイル(640キロ)以上運転しなければならなかった。そういう強行軍の2日間に、私はこの「マハリシが語る」を読んで夜を過ごしたのである。

ポール・ブラントンはシュリ・ラマナ・マハリシの様子を描いている。マハリシは毎日何時間も瞑想し、五感でとらえるこの見たところ明白な現実から離れた、どこか遠いところに意識の焦点を当てているのが常だったというのだ。マハリシがこのような瞑想で彼の周りに作り出すエネルギーの場に座るだけで、ブラントンが言うには、彼自身もすべてと『一つにして全体』になった至福の状態に連れて行かれたという。

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シュリ・ラマナ・マハリシ (1879-1950)

ラマナ・マハリシはベンカタラマン・アヤールとして生まれた。子供時代の初めは、いわゆる「普通の生活」をし、とりわけスポーツが得意だったようだ。しかし13歳の頃、変化が始まった。父親が他界したのである。彼は父親の体はそこにあったが、その「私」は行ってしまったのを見たのである。この「私」とは一体何なのか? これが彼の、現実と「私」の真実についての沈思黙考の始まりであった。

不思議なことに、私も母を亡くした時、同じような経験をしている。葬儀のため作られた大きな遺影の横にお棺があったが、その中の彼女の体を見た時のことだ。彼女の体は死んでいたが、遺影の彼女は『生きて』いたのである。私はこの2つを比べて見ることで、身体というコンピューターを、我々が死と呼ぶ状態に置き去りにするもの、それが何か理解できたのである。簡単に言えばそれは、「生命」すなわち『意識』だ。

ラマナ・マハリシは家族の願いに反してたびたび家を離れ、アルナーチャラに向かった。そして彼はそれ以降の人生をすべてこの地で過ごし、「私」の実体を見つめ、人生の多くの時間を沈黙の中で過ごしたのである。ポール・ブラントンの著作が世に出た後は彼の「名声」が広まり、ラマナ・マハリシの元には、たくさんの人々が訪れるようになった。しかし「名声」や、賞賛や批判であれ、彼には何の意味もなかった。そして彼はいつも通りのことを続けたのである。彼は別の「場所」から物事を見ていた。そのため、この現実の無意味さと、その幻想性がありのまま見えたのである。

彼の死に際して、彼の信奉者たちは自分たちのために生きていてほしいと懇願した。しかし彼は、「お前たちは、どうしてそれほど体に執着するのか? 手放しなさい」と求めた。また別の人々には、自分たちを置いて行かないでくれとせがまれたが、その時、「私がどこに行けるというのだ? 私はここにいる」と言ったのだ。

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アルナーチャラ山のラマナ・マハリシお気に入りの瞑想場所の一つ

「グル」は自分を「弟子」や「信者」より上だと見せる。私がそんな「グル」の輩に真面目に熱中することはない。しかしラマナ・マハリシはそんなことはしなかった。「マスター(師)」と「弟子」の違いは何かときかれ、マハリシは「視点だ」と答えたのである。そして物事を見る視点、または自己アイデンティティ、これが違うだけなのだと語った。

私はこの人の1930年代のこの言葉を読んで魅了され、私が長年本に書いてきたことに酷似しているとわかってうっとりした。彼は視点を変えることを語ったのであり、私は観点のことを言っている。しかし両者は正確に同じ意味なのである。彼の最も重要なメッセージのひとつは、自己を身体と同一化しないことだった。これは私が何年もうるさく言い続けたことと同じなのだ。

実は、これらのことは「常識」を超えた真理を追い求めようとする人々によって、歴史を通して繰り返されているテーマである。それ故、この知識は誰にでも手が届くところにあるということになる。「現代社会」は我々がこうした知識にアクセスすることを阻むよう作られている。しかし我々がまさにアクセスしなければならないのは、これなのだ。

いずれにせよ、私はこの人物と深くつながっていると感じた。彼のメッセージ、アルナーチャラの山と深くつながっていると感じたのだ。インドは何年も私の心の中にあったが、私は自分をインドに連れて行くシンクロニシティが起きるのをずっと待っていた。自分が行くことになるといつもわかっていたが、それがいつなのかは、わからなかったのだ。

北カリフォルニアの滞在先へ帰る途中、レジーナ・メレディスの話しを思い出した。彼女は一年ほど前インドに行ったことがあり、素晴らしい経験をしたのだった。彼女が行ったのがどこだったか正確には覚えていなかったが、彼女の家に戻ると、私はポール・ブラントンの本の話をした。すると彼女は『ラマナ・マハリシのことを話題にしているのかしら?』と言ったのだ。

その通り。アルナーチャラの山はインドでレジーナが息子のスチュアートを連れて訪れた場所だった。そして私がイギリスに戻った後も、次から次へとシンクロニシティが続いた。私はインドへ2週間以内出発することを決めたが、フライトを予約した頃には、ビザ取得の時間はほとんど残されていなかった。するとビザを最速で取る方法を教えてくれた人物に「偶然」出会い、ビザが届いた時、出発まであと一日しか残されていなかった。

また私はアンクールに連絡した。彼はインドの実業家で、私とあるアイディアについて話し合いたがっていたから、いずれはロンドンに来て話をする計画をたてていた。彼に連絡すると、彼と奥さんのラディーカが、インドでの移動と宿泊の面倒をすべて見てくれたのだ。

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ラディーカとアンクール … 素晴らしい人たちアルナーチャラ

二人は非常に親切で目覚めた人々で、彼らに出会えたことは光栄であった。「なんとしても行かなければ」と思い立った後、こんなにも早くアルナーチャラに来られたのも、彼らなくしては、あり得なかったし、こんなにスムーズな旅も叶わなかった。彼らは二人とも素晴らしい人々で、彼らの親切と心の広さには本当に圧倒的だった。すべてが素早く収まるところに収まった。この場所は明らかに何か理由があって私が来る必要のある所だったのだ。

ここに旅立った時、奇妙なことが起きた。まず最初に時計が止まった。入国してからは誰かに時間をきかない限り、今が何時なのかわからなくなったのだ。人は手首の監獄を失くすと、意識が別の状態になる。

そして体の件だ。私は10代の頃から関節炎や他の様々な体の病を患ってきたが、それは年々悪化してきた。私に近い人々、あるいは近いと思い込んでいるだけの人たちですら、どれくらいひどい痛みなのか理解していない。それは私が口外しなかったからだ。泣き言を言っても仕方がなく、人生を前に進め、やるべきことをやらねばならないのだ。

私は痛みと40年も一緒で、慣れているのだが、イギリスを旅立つ48時間前から悪化した。特にヒースロー空港でチェンナイ(旧マドラス)行きの便を待っていた時、痛みはそんな私にも、ほとんど耐えられないものになった。

これまで、つま先や足首、膝、腰、背骨、肩、前腕、手首、指が、長い年月の間に痛むことはあった。同時にすべて痛むということはなかったけれど、今回はあらゆるところが一度に激しく痛み出したのだ。私が移動できる唯一の方法は、運良く磨かれて滑らかだったターミナル・ビルの床を摺り足で、一度にたった6インチ(約15センチ)だけ歩くことだった。床から足を持ち上げるのは地獄の苦しみだった。これはさぞかし異様な光景に見えたに違いない。

私は座って搭乗を待った。そして90歳の老人のように立ち上がって搭乗券を手渡すことになるギリギリまで座り続けた。「こんなひどい状態なのに、機内でどうやって10時間も狭いシートに座っていられるんだ?」と私は考えていた。

その時、係員の男が私の搭乗券を機械に通したら、すると機械が鳴り始めた。「今度は何だよ?」と最初は思ったが、係員は端末にすぐ何かを打ち込んだ。すると別の搭乗券が出てきた。「お客様、ビジネスクラスにお取替えいたしました」彼はそう言ったのだ。

私は一人で少し泣いてしまった。別に白状しても構わない。心からホッとしたのと感謝の気持ちで一杯になったのだ。ちぇっ、神は「存在」した。ビジネスクラスでは座席が、なんと、ちょうどいいベッドのように変わるのだった。10時間ずっと痛かったけれども、座席の背が立ったままのエコノミークラスで過ごした場合の、何分の一かになったのである。

私は今アルナーチャラにいる。来て3日になる。今日は金曜日で、これを書いているのは、この山に近いホテルからだ。水曜日には初めて丸一日ここで過ごしたが、関節が少し楽になり、長い道のりを登って1922年まで7年間ラマナ・マハリシが住み、瞑想した場所まで行った。その住まいは、実際は洞窟だった。今では人々が瞑想する場所になっている。

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アルナーチャラ山を登るところ ? ゆっくりと痛々しく ? アンクールとラディーカと共に

こんな体の状態でどうやって山に登ったか(下りはもっと悪いが)、聞かないで欲しい。きっと人生はこの山登りに似ていると思う、片方の足をもう片方の前に出し続ければ、どんなに痛くても、いつかどこかにたどり着く。すべてが止まってしまうのは、あきらめた時なのだ。体は弱くとも、心が強くある事を選べば、そのように強いのだ。

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その山の上の「洞窟」で、家から持ってきた折り畳みのガーデンチェアに座って、素晴らしい体験をした。ここでは誰もがお決まりの瞑想姿勢で地面に座っているが、私の体は床にも座れない状態だ。もし試しに座ったりすれば、確実に二度と立ち上がれない。私が椅子を広げて蓮華座で座る人々の中に置くと、怪訝な顔で見られるが、気にすることはない。私はひそかに笑みを浮かべる。

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ここがデーヴィッド・アイク流「蓮華座」を実演した場所

実は、私のここまでの最高の経験は公式の「ラマナ・マハリシ」スポットで起きたのではない。このホテルで起きたのだ。それは花崗岩の建物で、アルナーチャラ山の向かいにあり、よって山のエネルギー場の中にある。(訳注*1)アルナーチャラはヒンズー教の神、シヴァ神の聖なる山で、ヴェーダ経典には「アルナーチャラの姿で地上に住む至高の存在」とはっきり書かれている。この神話と伝説を謎解きすれば、この場所には強力なエネルギーの渦があるということだ。ここでは『向こうの世界』を隔てている振動のヴェールがとても薄い。(訳注*1:アイクの泊まったホテルはティルバンナーマライの市街地にあるが、山頂からは2キロ程の直線距離である。)

家では夜6時間くらい寝る。そして日中、多分1時間くらい寝るが、その時は睡眠よりずっと深い一種の「昏睡」状態に陥っている。しかしこの部屋では昼夜を問わず何度も昏睡状態になってしまう。目は覚める(正確には“戻ってくる”)のではあろうが、再びいってしまうのだ。

いまままでの人生でこんなにたくさん眠ったことはない。それに時計がないので目が覚めても、昼夜の何時だか全くわからない。それも気にならないのである。とてもいい気持ちだ。

あの本をくれた方、どうもありがとう。あの本からすべてが始まった。どうして自分がここにいるのか、正確にはまだわからない。この先も多分わからないかもしれないが、私はここに来たかった。そしてシンクロニシティに導かれた。それで十分だ。私はインドの「精神性/霊性」の真実と自己欺瞞の両方をたっぷりと、確かに見せてもらった。

来週そのいくつかを、みなさんにお知らせする。

【翻訳委員会:◇D】

このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。

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