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「死ぬ」ために生まれて… そして、生まれるために「死ぬ」 こと…

このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。

デーヴィッド・アイク ニューズレター、2006430日号

「死ぬ」ために生まれて…

…そして、生まれるために「死ぬ」こと…

「生命の移り変わりこそ、死というものだ」
– トラヴィス・M・ファーンズワース

皆さん、こんにちは …

私の母が、20年近くに及んで心と体を患い、長引いた痛みが悪化して、先週亡くなった。母は複数の症状が重なって体のコンピューターがもはや動かなくなるまで不屈の精神で苦悶に耐えていた。それは通常「死」と呼ばれている境地であり、人間が生き続ける間じゅうの全ての体験の中で最も恐れられている体験である。

人々をずっと奴隷化してきたのは、恐怖の中でも最も極端なもの、つまり無知という恐怖である。陰謀を暴露するような、重大機密を公開することができても、死の恐怖というものはそうした人々を沈黙させてしまう。今後もずっと生きて行くため、あるいは永遠の「地獄」に向かって進まないようにするために、人々は医療や聖職者の奴隷とされてしまう。

恐怖というものはどういう形のものあっても限られたものであるが、死の恐怖は霊的で、かつ感情的なアルカトラズ(サンフランシスコ湾内にある旧連邦刑務所)である。

ぼくの母と「私たちのデーヴ」 …

私は子供のころ、死がすごく怖いと思ったし、母や父が死ぬことを思うと、ますます怖く感じた。子供の時、母が激しい咳をするので具合が悪いのだろうと思わざるを得なかった。母が不健康だということで、私まで心配で病気になりそうだった。

私の父は無知ゆえの恐怖から確かに死を怖がっていた。父は第二次世界大戦に従軍してイタリアに行き、その医療部隊に属していた。ナポリでは、ローマ・カトリック教会の途方もない富の前で極貧にあえぐ人々を見てしまった。このことで父はその後の人生にずっと強い反宗教的傾向をもつようになった。

不幸なことに、私の父は宗教を大変忌み嫌っていたので、そうした宗教と死後の生命という考え方を何でも同一視したため、死後の生命というものはいかなる宗教にも直結するものではない、ということを見落としてしまった。それは単に、十字を切ることで「イエス」に人生を誓うのか、それとも宗教というものは古臭くてくだらない重荷と思うのか、ということでしかない。生命は元から永遠なものだから私たちが永遠の生命を求める必要などない。それは欲張りだ。

問題は、どういう種類の永遠の生命なのか、ということであり、答えは私たちが出すものなので、いかめしく、執念深く、正義ぶった「神」などにかかわるものではない。

その当時なら母が死んだら私はひどく打ちのめされていたであろうし、父の死でも同じだっただろう。だが、私は「生命」の現実とこの、幻想である現実とに目覚め、死と呼ばれている振動の変遷あるいは移行に対するとらえ方を変え始めた。「死」ということの本当のあり方は、実際には生命から生命への見えない移行であり、ロビン・ウィリアムズの映画「奇蹟の輝き(What Dreams May Come)」によく描き出されている。

我々は、人々や回想へ愛着を持ち、悲しみにくれのはわかる。私の心には母の思い出がいくらでも蘇ってくる。子供のころのことだが母はよく廊下を掃除しながら「サンタクロースに忘れられた男の子(The Little Boy that Santa Claus forgot )」という歌を歌った。私はいつも母に泣きついて、サンタは僕のプレゼントを持っているよねと訴えた。母は笑って、これはただお話の中の出来事よ、と語った。

私の子供時代、誰かが戸をノックした時、母が私をソファの後ろに連れて行って隠そうとしていたことを思い出す。母はわたしにおとなしくじっとしているように「シッーーーー」と告げていた。しばらくして、その当時は理由がわからなかったのだが、もういいんだよ、と言われた。後になってから、当時戸をノックしていたのは家賃の取り立てに来ていた人であり、私の家は数週間分の家賃を払うお金もなかった、ということがわかった。取り立てに来た人が返事をもらえないと、正面の窓からの覗こうとするので、それで母が私を隠そうとしたのだった。

私は、校内で歯医者さんがマスクを装着しようとした時、先生をピシャリとはねつけて逃げ出してしまい、100ヤードほど走ったところで脇に買い物かごを抱えて追いかけて来た母が、待ちなさい、と大声で叫んで来たことを思い出す。

母がバスから降りるときを覚えている。地面に降り立つ前にすでに足が動いていて、まるで「火事だ!」と叫んでいるように店から店へと大急ぎで通り過ぎて行った。ある人が母と買い物に行けば、いつでも後方へ押しやられ、母の後をついてゆくことになる。

私が電話した時は、母はいつも「私たちのデーヴ」と部屋中にふれまわっていたことを覚えている。そして母は留守番電話に伝言を残しておくやり方をとうとう一度もできなかった。私が3度ボタンを押して、伝言を聞き取ろうとすると、「ピー、ピー、ヤー(Yar)」、何?ヤー? 「ヤー(Yar)」て何?と思うと、 するとそれは母が録音が始まる前のタイミングで話し始めたからで、本当に言おうとしたことは、「あんた、調子どうだい(how y’are)?」と聞いてみたかっただけだ、ということがわかった。

そう、沢山の思い出があるのだが、もっとあるだろう。愛しい人が去っても、そうした思い出はその人に波動でつながっているため親しみ深いものになるのだ。そうした思い出があるとわかっているだけで、人の人生にある穴の部分は埋まる。

「誕生と死は、二つの別々の状態ではなく、同じ状態の別々の側面である。
およそ一方を嘆き悲しむ理由もなければ、他方を喜ぶ理由も同じく存在しない。
– マハトマ・ガンジー

2006年4月29日のその日、私は54年間知っていた母という人を失ったことで深く悲しんだ。だが、そうした境遇にあって何を私は悲しみ、何を人々も悲しむのだろうか。私たち人々が永遠の「生命」あるいは私が好んで用いる呼び方では永遠の「意識」の本質を理解すれば、その人がもはや共にいてくれないことを悲しむのだ。

私たちはその人たちが生き続けるということをわかるかもしれないが、その人たちはもはや同じ振動場にはいないのであり、隣の椅子に座っているのでもなければ、電話の向こうにいるのでもない。

私たちが「生命」の本質を本当はわかっていない場合のみ、逝ってしまった人々のことで悲しむ。その人々は身体の幻想に限定されたところから離脱したのであり、そして無限の自由の境地に再び生まれていくのだ。真実は、その人々は決して去ってしまったのではなく、分離の感覚は、このうろたえる現実における幻想の部分である、ということだ。

私の母は数十年も激しい関節炎の痛みに苦しんだが、私自身も同様だ。母は深刻な健康上の問題に苦しんだが、数年前スピード違反のドライバーに追突されてから、一段と悪くなった。最近では、母の体は段々衰えていき、意識も認識と混沌とした状態の間をさまよっていた。

ある人が天国へ再び昇るために苦しみながら逝ったことで誰もが悲しむのはなぜだろう?母の闘病が終わったことで私はほっとしたし、母がいなくなって寂しいという以上に母が苦しまなくて済むので心が安らいだ。

臨死体験をした人でもう一度戻ってきたいと願う人に私は会ったことも、何かで読んだこともない。体が「死」の状態になって、それから離れていき、身体だけが再び蘇えるという、この境地を超えた現実の体験を語った人々の大変多くの数のドキュメント記録がある

オランダの心臓の医師であるピム・ヴァン・ロメールは、DNA、集合的無意識及び「カルマ」の考えに関する疑問の提示と同様に死後の生命の全体的な考えを裏付ける大量の臨死体験の研究を行った。同氏の所見は英国の医学雑誌ザ・ランセット(The Lancet)に発表された。

ヴァン・ロメールの関心は35年前に、ある患者が臨死体験について語ったときにひらめいたものだった。同氏の真摯な研究は、米国の医師でジョージ・リッチーという人が彼自身の「臨死」体験を詳述した、『明日からの帰還(Return from Tomorrow)』,という本を読んでから本当に始まった。ヴァン・ロメールは彼の患者全員に心臓が停止していた間、それぞれ何を思い出したかを聞き始めた。以下はヴァン・ロメールの記録のほんのいくつかの例である。

「私は体から『離脱』し、その中で、そしてその周りで浮きました。私の眼は閉じていたのに周りの寝室と私の体は見えました。私は突然、百倍も千倍も速く、そして人間にふつうに可能な異常にはるかにはっきりと『考える』ことができるようになりました。この時点で、私は自分が死んでしまったことを悟り、受け入れました。それは移りゆく時でした。それは恐怖も苦痛もない、完全にすべてがやすらかな感覚であり、他のあらゆる感情も伴っていなかったのです。」

…………………………….

「私は上から自分の体を見下ろしていましたが、先生たちと看護婦さんたちが私の命を救おうと奮闘されているところが見えました。すると、私に温かい感情がこみあげてきて、トンネルの中に入りました。そのトンネルの終わりで、明るく、温かい、白く光る振動する光が見えました。美しかったです。私は安らぎと信頼感のようなものを感じました。私はその光の方に浮かんで動いていきました。温かな感じはますます強くなり、愛されているような、恍惚感のようなものでした。私の人生が目の前できらめいていたように見えました。突然、私は事故の時の痛みを感じ、自分の体に衝撃を受けました。病院の先生方が私を連れ戻した時、私は激しく取り乱していました。」

「この体験は私にとって祝福であり、いまや私は体と心が分離し、死後の生があるのだと確信しています。意識が墓の彼岸に生き続けていると確信しました。」

……………………………………….

「私が見つめていた、ベッドに横たわっている体は私ですが、それは離れていく時ではないことが、私には分かっていました。私の地球上における時はまだ終わっていませんでした。まだ目的がありました。」

……………………………………

「私は誰かが自分を愛しそうに見つめているのが見えましたが、誰だかは知りませんでした。母が死の床で私に告げたのは、私は婚外交渉で生まれた事と、私の父はユダヤ人で、第二次世界大戦で追放されて殺されてしまっていたことで、そして父の写真も見せてくれました。この見たこともない男の人は、私の臨死体験が私の生みの父とわかる何年も前に見たことがあったのです。」

このトンネル、ずっと昔に逝ってしまった、愛する人々に出会えた、この至福が、そして元に戻ってこなければならない失望感は臨死体験の、常に出てくるテーマだ。ヴァン・ロメールは、ある人々は戻って来ると、短い間体験した自由と比べて投獄されたかのような感覚を持つことが多い、と語っている。この理解は、この究極の恐怖から万人を自由にするものであり、これこそイルミナティがこの知識を組織的に弾圧してきた理由である。イルミナティの連中は、人々が死を恐れ、何事も恐れることを切望している。それはその方が人々を支配統制して操作する上で容易だからである。ヴァン・ロメールは次のように述べている:

「人々に残された最も重要な事柄は、もはや死を恐れない、ということです。というのは、人々は自らの意識は生き続けるのであり、継続性があるのだ、ということを体験して知ったからなのです。彼らの生命と同一性は、身体が死んでしまったからといって終わることはありません。人々は、単に来ていたコートを脱ぎ棄てただけだと感じます。」

まさしく、まさしくその通りなのだ。身体のコンピューターは私たちの意識がこの現実を体験できるようにする宇宙服のようなものだ。もし私たちに、この「世界」の周波数の場の内側で振動する外側の覆いがなくなれば、私はこの文章をタイプすることもできないだろう。それでは私には指もないだろうし、仮にあったとしても、ラジオの周波数が壁を突き抜けてくるのと同じように鍵を使って通り抜けてしまうだろう。それは「死にゆくコンピューターであり、私たちではない。 - 私たちは永遠の意識であり、今現在もこれからも永遠にそうであろう。

この「トンネル」を潜り抜けるのは何であろうか。この移行をもたらすのは、私たちの意識であり、私たちの認識である。コンピューターは、埋葬されるか火葬されるが、その内にある意識までも葬り去られるのではない。ヴァン・ロメールは「死」について次のように語ている:

「その瞬間にその人々は意識するだけではありません。その人々の意識は以前にも増して広がりを見せさえするのです。極めてはっきりと考えることができるようになり、記憶はごく小さい子供時代のことにまでさかのぼり、物事すべてと自らの周囲にいる人々みなに密接にかかわる体験をします。そして、脳はもはや全く働きません!」

「何が意識で、そこに何が存在するのでしょうか?何が私の自己同一性なのでしょうか?私が作業をしているテーブルの私自身の体を見て、そこで見つめているのは誰でしょうか?生命とは何なのでしょうか?そして死とは?」

こうした疑問はすべてたった一つの短い文章にくくることができる。そうしたものは意識の状態であり、それがすべてだ。ヴァン・ロメールが指摘したのは、脳は意識を送り出したり記憶したり貯蔵したりすることなどない、ということである。彼が言うには、米国のコンピューター科学の専門家であるサイモン・ベルコビッチとオランダの脳科学者ヘルムス・ロミーン(Herms Romijn)は二人とも、別々に独自の研究をしているのだが、脳は人間の思考と体験の一部ですら貯蔵することは不可能であるとの見解を得た。さらに、ヴァン・ロメールは、自らの研究から私が直近の著書と以前に出したニューズレターの中で詳細に述べた通りのことを結論付けた。体/脳はコンピューターかテレビと同じような情報の受容器(発信器)である。

「脳は特定の電磁波に同調してそれを画像と音響に変換するテレビ受像機にたとえることができる。覚醒している状態の意識は、私たちが日常生活の活動している中で意識しているものであり、そのすべての情報を、私たちが「現実」として体験するという単一の真実に還元してしまう。だが、臨死体験の際には、人々には体や覚醒に限界がなくなっていて、つまりそれははるかに多くの現実を体験する、ということだ。」

このことはすべて、まさしく私が『無限の愛こそが唯一の真実であり、他のものはすべて幻想である “Infinite Love Is The Only Truth, Everything Else Is Illusion”』で書いたとおりである。ヴァン・ロメールは、DNAが(少なからず『科学』が何も知らない、いわゆる『ジャンクDNA』の95%)、情報の受信器(送信器)である、とさえ述べている。これはまさに私の直近の本の、そしてマトリックスの説明、さらにどのようにしてそれを結合するのか、の基礎となっているのである。

DNAは私たちの体/脳のフィルターを通して現実を認識する永遠の意識(認識)に接続する。「死」において私たちの意識はこのつながりから引きさがるか、あるいは「コンピューター」の故障により壊れてしまい、そして私たちは体外離脱の認識に戻る。この離脱は「トンネル」体験で意味される。

真実は最後に出てくる。私たちは身体なのではなく、意識であり、意識の状態なのだ。それは私たちが「死」と呼ぶ、その操作された幻想の「法則」の彼岸で私たちを待ち受ける無限の自由を体験するときに離れていくものだ。ヴァン・ロメールは次のように述べている:

「私たちは今や、すべてが意識に由来するとわかっています。人は自ら有する意識と、自らが生きる意図に基づいたその人自身の現実を人が作り出すことを、もっとよく理解できるのです。意識が生命の基礎の意識であり、そして生命は原理的に同情、共感、そして愛にかかわるものだ、ということを私は、理解しています。」

そう、そのとおり。無限の愛こそが唯一の真実であり、他はすべて幻想である。

私の母は数日前に亡くなったのでなない。母は死ぬことなどできない。彼女の生物としてのコンピューターは作動が停止したが、母の無限で永遠の意識は、元あったところに向かって出発した。母の家族のコンピューターが同じように停止すれば、私たち家族は意識で再び結ばれて、幻想の切り離しのこの網にとらえられている間に、家族皆でしたこと、考えたこと、そして言ったことを、すごく楽しく笑うことだろう。

先週のニューズレターの終わりに、私はチャン・ツー(Chang Tzu)を引用した:

「人間の誕生は悲しみの誕生である。長く生きれば生きるほど、その人は愚かになる、というのも、避けることのできない死というものを避けようとする不安はどんどん高まる。何と辛いことか!その人は決して手の届かないもののために生きているのだ!その人が将来生き続けていこうとする渇望があるので、現在に生きることができなくなってしまう。」

上述のことを繰り返すのも的を得ている。死の恐怖および、私たちが愛する人に死なれる恐怖により、私たちは生活を「生きる」ことを停止し、その代わりに意識的、下意識的に死という避けることのできないものを恐れる。だが、死は不可避ではない、というのも私たちの幻想に取りつかれて感覚以外には、死など存在しないからだ。生きることのみがあり、意識状態のみがあるのだ。

生き続けることの渇望は生きようとする渇望であり、この信じられないような啓示に居合わせることの喜びである。真実は、愛のみがあるのだ、ということ。他のものすべての存在は不実である。

「奇跡の輝き(What Dreams May Come)」という映画のシーン
– 永遠の土地で「死」によって結ばれる

母さん、さようなら、今までのことすべて、ありがとう。でも、これは長い間の別れではない、さようならなど、ないのだ。僕が知ってるように、母さんはそこに居てくれる、離れた所からの振動ではあるけれど。そしてここで僕が仕事を終えたら、母さんと僕はまた意識の状態から別の意識の状態へと移って会うことだろう。母さん、父さんとまた会えたよね、父さんも人生とは母さんが思っていたようなものとは違うよ、と言っている。母さん、きっとクスクス笑っているんだろうね。

母さんの話し方のレスター訛は忘れられない …「イエー、何だい?ホントじゃないっていう言うの、え?(Yer  mean it wont real?)」

でも、全く変わらないこともある。現在、僕はあのトンネルに沿って浮いて、微笑みかけてくれる人の顔が現れて見えるんだ。

「あらまあ、私たちのデーヴよ、紅茶でも飲むかい?」

「ありがと、母さん。いいねえ。元気にしてた?」

「愛しのデーヴ、本当に愛しい。お帰りなさい、わが子よ。」


臨死体験について詳しいことは国際臨死体験協会(International Association for Near-Death Studies)のウェブサイトを参照: www.iands.org

(翻訳:ゴルトしまじろう)

このニューズレターは著者デーヴィッド・アイクの承認を得て翻訳されたものであり、著作権は著者に帰属します。英語原文に興味がある方は、David Ickeのサイトから購読できます。

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